結論から逃げるのだ

憂鬱なことの愚痴だったり、気晴らしだったり

2018年を迎えて

あけましておめでとうございます。

 

今年の冬期休暇は1月4日まででした。

 

去年はかなり短い印象があった冬休みですが、今年はまぁまぁにつながったのかな。

明日、金曜日も休みにすればもっと長くなったのですが、そういうわけにもいきませんでした。

 

結局よくないのは去年の年末の仕事をすっきり終わらせることができなかったことが心残りです。

 

もやもやしながら冬休みを過ごすことになってしまいました。もやもやしながら過ごすと一日一日が短いですね。

 

年末年始と実家にもどり、若いころからの友人と酒を酌み交わしていました。

みんな結婚したり、子供がいたりしてそれぞれ人生の転機を迎えているようです。

 

変化というのはどうなんでしょうか。歓迎することもあればそうでないこともありますよね。

 

私の場合は変化自体を恐れてしまう傾向があるので、友人各位が家族を持つことによって遅くまで飲まなくなったり、飲み会にもこれなかったりという友人達の変化を目の当たりにすると少し寂しさも感じたりしています。

 

時の流れがある以上変化は誰にも訪れるもので、望まない人間にも必ず訪れます。

 

祖母に会うために父と施設に訪れた際、父が今年で定年だということを祖母に伝えていました。

子供のころから朝起きると父が慌ただしく仕事の準備をし、私が朝食を食べている最中に仕事に出ていきました。

それももうあと少しなのですね。

 

実家に戻った時に当たり前に父や母がいることはあとどれくらいなのだろうか。

そうなった時は自分はどこに帰ればいいのだろうか。

自分の居場所は?

 

やはりどこか親に依存しているところもあるのでしょうね。

 

そんな時、家族持ちというのはすばらしいです。

帰る場所があるというのがひどくうらやましいです。

 

逆に定住する場所を求めない生き方ができる人間も羨ましいです。

そんな風に考えたくて家を出てみたのに、やっぱり帰る場所について考えてしまいます。

 

いっそのこと自分の親が毒親だったりしたらそんな風にも考えられたのかもしれない。そんな風に思ってしまう時もあります。

 

そんな感じで鬱屈した思いで新年の仕事が始まろうとしています。

あぁ、いやだないやだないやだな