結論から逃げるのだ

憂鬱なことの愚痴だったり、気晴らしだったり

ドラゴンボールとか

2024年3月1日

とりやまあきらが亡くなったそうだ。

 

自分の世代からするとまさにアニメのドラゴンボールがドンピシャで、聖闘士星矢キャプテン翼は古すぎるし、ワンピースなんかは面白かったけど漫画やアニメに対して耐性が出来ていた年齢だった。

 

漫画に耐性が出来たといっても読むのを止めたわけではなく、世の中には沢山「漫画」というものがあるんだということを知った後という意味だ。

おかあさんといっしょ」や「アンパンマン」では刺激的に物足りなくなってきて、どうやらこれはアニメというやつで、まだまだ他にも色々あるみたいだぞ。と思い始めた時代にドラゴンボールがあった気がする。

 

それからもう何十年と経ち、それでも現役で存在しているのだからドラゴンボールは偉大だ。別に集英社東映の関係者でもないのだけど、不思議と誇らしい気持ちになるのはオタク気質のなせる業か。

 

お小遣いが少なかった小学生時代は、ジャンプを毎週買うなんてことはできず、半年に一度訪れる親戚の家で年上のいとこが買いだめしていたジャンプをまとめて読んでいた記憶がある。

ドドリアとかザーボンが描かれていたナメック星編だった。あの時はアニメで活躍していた悟空が、全然出てこなくてサイヤ人の戦闘服を着たクリリンが印象深かった。(ドドリアの時ってクリリン戦闘服だったっけ?)

そこら辺の少年の例に漏れずかめはめ波をやってみたりしたけど、「はぁぁぁぁぁぁつ!」って感じで「気」溜めるのが好きで(単に力んでるだけだけど)、限界が来た時にダッシュ!気分は界王拳3倍でベジータをぶん殴る悟空である。

 

ある程度年を重ねてくると別な媒体での作者のインタビューなんて記事を読むことも出てくる。

どうやらとりやまあきらは割とものぐさで面倒くさがり屋、楽そうだから漫画書いてみたというぐらいに働くことが嫌いだったようだ。

そんなモチベーションでも書けてしまうのだから、これが才能なのだろうか。

それともとりやまあきらも才能という言葉で片付けられないほどの努力家だったのだろうか。

(漫画の神様と呼ばれる手塚治虫なんかは死の間際まで漫画を描き続けたのだから、同じ日本を代表する偉大な漫画家としてこのスタンスの違いは面白い。)

 

面倒くさがりなとりやまあきらだが、漫画だけでなくゲームのキャラクターデザインでも活躍していた。

自分はゲームもスーファミからだったので、ドラクエもなじみがなかったし、キャラクターデザイナーなんてポジションも知らなかった。

でも、クロノトリガーが発表されたときはコンセプトイラストが発表されるたびにわくわくさせられたもので、カエルとかロボとか魔王とかハチャメチャな世界観が美しいまでにまとまっていた。

 

ドラゴンボールを最後に長期連載はやめたようで、サンドランドやジャコといった短期集中連載で作品を発表していた。

最近は作品自体を目にする機会も減り、3DS桃鉄キングボンビーのキャラデザやったり、ドラクエのキャラデザは相変わらず続けていたりとキャラクターデザイナーの仕事をメインにしていたようだ。

 

それでも、とりやまあきらが書いたイラストだと分かれば見てみたいし、ジャンプで短期連載と言われればその期間だけ買ったりしたかった。

 

なんかつらつら書いたけど、結局は寂しい。

作中でブルマが言っていた「孫君ならなんとかしてくれる。そんな気にさせる」

 

「とりやま先生ならなんとかしてくれる。そんな気にさせる」

 

自分の中ではそんな漫画家でした。

ありがとうございました。ドラゴンボールを、ドラクエを、クロノトリガーをありがとうございました。