結論から逃げるのだ

憂鬱なことの愚痴だったり、気晴らしだったり

健康を取り戻すためのキックボクシング

コロナ禍が始まった頃、以前から在宅勤務をするものはすでに始めていた我が社でも、律儀に出社していたメンバーもその恩恵を本格的に味わうことになった。

家では仕事に集中できないと出社していた自分もそのありがたみを受け取って今でも在宅勤務を続けている。

 

在宅によりプライベートな時間は増えたものの、出社という運動時間を失った自分の我儘ボディは少しづつ膨らみ始めていた。

そこでポストに投函されていたのが「会員募集」のキックボクシングジムの広告である。

 

元々格闘技は好きで旧K-1やPRIDEはよく見ていたのだが、ブームも去り地上波の放送がなくなるにつれてこの熱も去っていたのであるが、膨らんだ体と相談した結果、格闘技を始めることと相成った。

 

冒頭でコロナ禍が始まった頃と書いたが、それから数年たった今でも同じジムに通い続けている。別に選手を目指しているわけでもないのだが、ミットとサンドバッグを叩く習慣はついたと思う。

X(旧Twitter)でみかけた本当か嘘かはわからないが、日本人でジムに通う人は3%、続ける人は1%だということらしい。

始めた理由

ジムとなるとこれは大体の人が「運動不足解消のため」が入口になるのじゃないかと思う。後は美容のため?ボディメイクへの憧れとか?

ただ自分の場合は"キックボクシング"ジムなので「健康のため」の比率がちょい下がり、"キックボクシング"に興味のある者が集まりやすい。

実際自分は太ったとも書いたが、格闘技をやってみたいという面が強かった。後に近所に格安24hジムができたが特に移籍は考えなかった。仮に柔術道場みたいなのが出来ていたらそっちとは迷ったかもしれない。

続ける理由

もうほとんど始めた理由と同じで「好きだから」という結論は出ている。

話はちょっと変わるけど、昔はよくわからなかったけど今ならわかるものに漫画「僕のヒーローアカデミア」のあるセリフがある。

話の転機で出てくるワード「オリジン」。

その中のキャラクターが「思い出せお前のオリジン(原点)を」と言うのだが、これがジムに通う上で頭に思い浮かぶことが多くなった。

どんなときか。ズバリ行きたくない時である。

椅子から腰を上げた時、スポーツウェアに着替える時、着替えた後にジムに向かう道程でこの言葉を思い出す。

それは奮い立たせる言葉かというとそうではない。行くかどうかの判断に使うのだ。

始めた理由はなんだったかを思い出す。キックボクシングが好きだったからではないか、果たして今行って楽しいか、楽しめるか。

というのを考えて、時として行かないという選択肢を取ってきた。

結局これがジム通いが続いている理由だと思っている。

もしオリジンが健康のためや運動不足解消だったら続いていない…多分。

 

なぜなら健康や運動不足解消がオリジンであるならば、ジム通い以外の手段で代替できてしまうからである。

食生活の見直し、ジムの時間をウォーキングに充てていたかもしれない。

結果としてジムに通う必要性を感じなくなる。ただ、その生活を続けることは多分ジムに通うことより難しいと思う。

これはあるいは大きな病気をした後でならモチベーションは高いかもしれないが、患う前ではオリジンとして意識できるかどうか。

というわけで幸いにも格闘技ジムが近所に出来たが故に自分は続けられているのだ。ジムに通い続ける1%というのは多分にそういう環境に恵まれたものなのだ。

あるいはテニススクール、あるいは草野球、あるいはヨガスタジオ。

 

辞める理由

今は考えていない。が、多分引っ越しなりでこの地を離れる時なのだろうと思う。

決して若い年齢ではないので若者たちのように見る見る成長するということは無いし、張り合おうという気概もない。

それでもこれをきっかけに学生時代に好きだった体を動かすことの楽しさを思い出せたし、少なくとも何もしなかったであろう世界線の自分よりは強くあろうと思っている。これから何もせずとも腰やひざを痛めていくだろう。その時に「十分使ったよね」と思いたい。

 

始めた理由と続ける理由に健康が理由ではないみたいなことを書いたが、結果として健康にはなった。

体重は身長の平均だし、腹筋もうっすら割れている。

でもそれを目指しているとは言わない。それを自分のオリジンとすると続かないからだ。あくまで自分のオリジンは「好き」だからでありたい。

勉強と決断:人生における重要な選択

早いものですでに2024年4月に突入。

4月に入って一番最初に新情報はWindowsのCortanaが終わっていたこと。

正確にはWindows10のみでWindows11に関しては日本語すらデフォルトで入っていない。

その代わりWindows11にはCopilotというアシスタントが入っている。

ずっとコピロットだと思ってたらどうやらコパイロットもしくはコーパイロットの発音に近いらしい。

 

それはさておき仕事というのは常に勉強の連続である。

世の中はあらゆることで大なり小なりで技術革新が行われており、新しく生まれる技術は取捨選択されながらふるいにかけられる。

それはどの業界でもそうで、例えば運輸業だって今後は自動運転が実用化してくれば新しい形になるべく再編されるだろうし、例えば教育関係だってプログラムの授業が騒がれたように新しく学ばせるべきことはどんどん追加される。

いつまでも社会に出た当時の知識で生涯を乗り切ることは難しい。

 

つまりいつまでも勉強しなきゃねって話なのだが、なんとなく転職を考えている人間にはそれが難しい。

 

だってなんとなくなんだから、今の業界にいようか、はたまた新しい業界に行こうか。

それを考え始めたらどちらにも動けない。

今の業界関係について勉強することはたいして難しくないし、新しい業界の勉強についても朧気になにが必要なのか、ネットを調べれば机上の情報はあつまると思う。

 

問題は迷っている今の状態でどちらの勉強をしたものかという状態だ。

今の業界について勉強するでもよい、だが新しい業界について学んだ方が建設的ではないのか…?

新しい業界について勉強した方が良いのではないか、今いる業界を離れるわけだから時間の無駄にならないか…?

とか考えだしたら手も動かない。

こんな時間が人生で一番無駄なんじゃないかとさえ思えてくる。

この無駄時間を解決するためには転職の方針をさっさと決める!のが一番なのだけど、優柔不断者には厳しい。

結局新しい業界に転職活動するわけでもなく、その業界についてネットを眺めて満足する日々。

人生そんなに長くないと頭ではわかっているのに。

もっとダーマの神殿のようにもっと世の中シンプルにならないものか。

ジム通いの意義を感じる日々

2024年3月

今月半ばころまでは仕事も忙しく、そうなると色々なものが疎かになっていた。

洗い物は溜まっていくし、毎日食べていたゆで卵をゆでるのも億劫になっていく。

 

それが後半頃にようやく仕事が落ち着き始めて再び生活が戻っていくことを実感している。

その一つがジムに通うこと。

仕事が立て込んでくる前は週3で通っていたジムも、週2になり、週1の時もあった。

それが今週は久しぶりに週3で通うことができた。

一番しんどいクラスに参加できたのは、ちょっとずつだらしなくなってきていた体に再び活を入れるには十分過ぎたのか次の日の現在めちゃくちゃ眠い。

 

ただこうやって疲弊した体を回復すべく全力で体がカロリーを回している感覚というのは「あぁ生きているな」と実感する。

とはいえエネルギーをガンガン入れて使用したカロリーを超えるようなことはないように気を付けたいと思う。

 

整う:龍泉寺の湯で体と心をリフレッシュ

3/20春分の日である。

毎週土曜日には朝活と銘打ってlaptopPCを抱えて近くの喫茶店にいくのだが、中水曜日の祝日なのでいつもの休日とは違ったことをしたくなった。
なのでサ活をやってみた。

サ活つまりサウナである。

今更なのは分かっているが近場には昔ながらの銭湯はあるもののサウナはなかった。
サウナが流行っている(た?)のは知っている。整うとか色々聞こえてきたりしてた。
それが最寄り駅から3,4駅離れた場所に龍泉寺の湯ができたらしく、なかなかにサウナを推していたので行ってみた。

長々と感想を述べる程の感想はないが、朝からサウナというか大浴場というのは良いものである。
サウナも二回ほど入った。
普通のサウナとソルトサウナというやつだ。
特にソルトサウナはなかなか新鮮だった。
汗ばんできたころに室内にある塩をガっと掴んで体に塗りたくる。
そうするとあら不思議と言わんばかりに塩が皮膚に吸い込まれるように消えていき、汗が一層噴き出してくる。
で出た後は水シャワーで塩を洗い流し、体を拭いたらベンチで一息つけば「整う」だ。

始めての「整う」な感覚だったわけだが、絶妙な多幸感なんかジムでちょっとハードな有酸素運動した直後の感じに近いかなと思う。
サウナが流行るちょい前にもジムに通うことも流行ったわけだが、なるほどハードな運動しなくてもこれが味わえるなら…って感じ?

朝だというのも良かった。
朝活自体には「勉強」や「運動」も含まれるわけだが、眠気眼の「勉強」は身に入らない時もあるし、反覚醒状態の体は「運動」をするには重い。
それに比べて朝風呂ついでに気持ちよく覚醒できるというのであればハマる人が続出するのも納得である。

が、結局流行りなのでやっぱり人が多い。
朝から人が多い。サウナは部屋自体を常に高温で保つ必要がある以上、あまり広くは作れない。
なので部屋は常に満員状態で人は入れ替わり立ち替わり、外気浴のベンチも常に人がいるし、空き待ちで湯舟もいっぱい。
「あぁ…整ったな。よしもう一回籠るか」と思ってもまた待つことになり、なんだかな。

とは言え、この朝からの覚醒具合はくせになりそう。
また思い立ったころに行ってみようと思う。
最寄り駅周辺に出来なくてよかった。

戦いの熱量と盛り上がり: 超RIZIN3の展望

超RIZIN3のカードの発表があり、朝倉未来 vs 平本蓮のカード発表があった。

 

平本蓮がRIZINに参戦始めた頃から知っている側としては半ば一方的につけた因縁だったけど、こうして超RIZINの舞台で形になったところを見るに努力は実ったのか、朝倉未来側がうまく乗ったのか楽しみにしている人は多いんじゃないかと思う。

 

www.tokyo-sports.co.jp

 

青木真也インフルエンサー同士の戦いがメインなのはいかがなものかということコメントしていたけど、まぁRIZINのナンバー大会じゃないし、超RIZINにタイトルマッチ的なのはいらないかな、と思っている。

 

ただ、この戦いが結局タイトルマッチ以上に盛り上がるのは寂しいところで、正直この路線でRIZINは今後盛り上がっていけるのだろうか。

因縁を主に興行を始めてしまうと結局どこかでネタ切れが起こる気がする。

ちょっと前にはRIZINには「バンタム四天王」と呼ばれる存在がいて、さらに上に堀口恭二がいてその間に朝倉海が割ってはいったことにより、バンタム級戦線が混沌して、でこの混沌とした前線を整理するためにトーナメントが開かれて…のような。ちょっとした幽遊白書の魔界統一トーナメントのような盛り上がりがあった。

 

フェザー級だって王者として朝倉未来を担ぎ上げようとしたところに、思わぬ形で斎藤裕が待ったをかけて、クレベル・コイケが現れてリベンジに燃える朝倉に立ちはだかり、フェザー級のTOP3としての格付けが盛り上がった。

 

で、上の例のいずれも「誰が真の強者なのか」というところにドラマがあった。

結局この朝倉・平本や平本・YA-MANとかの盛り上げ方は「喧嘩の決着」という街中でもやれそうな内容だから冷めて見てしまうところがある。

「誰が真の強者なのか」路線は新しい期待の選手が出てくる度にドラマができる実は手軽な仕組みなのだが、瞬間的な熱量には欠ける。ただ「絶対王者」のような圧倒的な選手が入ればだんだんその熱量もあがる。

「喧嘩の決着」は瞬間的な熱量は高いけど、そのあとには続かないし、個人の盛り上がりであり団体として上に行けるかというと疑問である。

 

結論として超RIZIN3のチケットを買うかはアンダーカード次第であり、メインのためだけに買うことはしないということである(疲れちゃった)。

イライラ

最近仕事でイラつくことが多くなったと思う。

 

特に自分の思った通りのスケジュールにならなかった時にイラっとする。

年なんでしょうか?

 

仕様書通りに実装したのに、仕様の変更となりイラッとする。

それも仕様変更そのものにイラッとするのではなく、クライアントの「変更しました。修正してくださーい」(←こう聞こえている)とか「認識の違いがあったようですね」(←だってそう書いていないやん)とか、相手の言葉遣いに頭が来ることが多い。

アンガーマネジメントを思い出し、一旦返信をせずに放置することにしているので棘のある言葉にはならないようにはしているつもり。

 

ただこのイライラが最近仕事のつまらなさ、ひいては転職を考えるきっかけになっている。

どうなんだろう世の中にはイラつくけど楽しいみたいに思える仕事はあるのかしら。

自分次第だよ、で終わる話なのかしら。

 

おわり

ドラゴンボールとか

2024年3月1日

とりやまあきらが亡くなったそうだ。

 

自分の世代からするとまさにアニメのドラゴンボールがドンピシャで、聖闘士星矢キャプテン翼は古すぎるし、ワンピースなんかは面白かったけど漫画やアニメに対して耐性が出来ていた年齢だった。

 

漫画に耐性が出来たといっても読むのを止めたわけではなく、世の中には沢山「漫画」というものがあるんだということを知った後という意味だ。

おかあさんといっしょ」や「アンパンマン」では刺激的に物足りなくなってきて、どうやらこれはアニメというやつで、まだまだ他にも色々あるみたいだぞ。と思い始めた時代にドラゴンボールがあった気がする。

 

それからもう何十年と経ち、それでも現役で存在しているのだからドラゴンボールは偉大だ。別に集英社東映の関係者でもないのだけど、不思議と誇らしい気持ちになるのはオタク気質のなせる業か。

 

お小遣いが少なかった小学生時代は、ジャンプを毎週買うなんてことはできず、半年に一度訪れる親戚の家で年上のいとこが買いだめしていたジャンプをまとめて読んでいた記憶がある。

ドドリアとかザーボンが描かれていたナメック星編だった。あの時はアニメで活躍していた悟空が、全然出てこなくてサイヤ人の戦闘服を着たクリリンが印象深かった。(ドドリアの時ってクリリン戦闘服だったっけ?)

そこら辺の少年の例に漏れずかめはめ波をやってみたりしたけど、「はぁぁぁぁぁぁつ!」って感じで「気」溜めるのが好きで(単に力んでるだけだけど)、限界が来た時にダッシュ!気分は界王拳3倍でベジータをぶん殴る悟空である。

 

ある程度年を重ねてくると別な媒体での作者のインタビューなんて記事を読むことも出てくる。

どうやらとりやまあきらは割とものぐさで面倒くさがり屋、楽そうだから漫画書いてみたというぐらいに働くことが嫌いだったようだ。

そんなモチベーションでも書けてしまうのだから、これが才能なのだろうか。

それともとりやまあきらも才能という言葉で片付けられないほどの努力家だったのだろうか。

(漫画の神様と呼ばれる手塚治虫なんかは死の間際まで漫画を描き続けたのだから、同じ日本を代表する偉大な漫画家としてこのスタンスの違いは面白い。)

 

面倒くさがりなとりやまあきらだが、漫画だけでなくゲームのキャラクターデザインでも活躍していた。

自分はゲームもスーファミからだったので、ドラクエもなじみがなかったし、キャラクターデザイナーなんてポジションも知らなかった。

でも、クロノトリガーが発表されたときはコンセプトイラストが発表されるたびにわくわくさせられたもので、カエルとかロボとか魔王とかハチャメチャな世界観が美しいまでにまとまっていた。

 

ドラゴンボールを最後に長期連載はやめたようで、サンドランドやジャコといった短期集中連載で作品を発表していた。

最近は作品自体を目にする機会も減り、3DS桃鉄キングボンビーのキャラデザやったり、ドラクエのキャラデザは相変わらず続けていたりとキャラクターデザイナーの仕事をメインにしていたようだ。

 

それでも、とりやまあきらが書いたイラストだと分かれば見てみたいし、ジャンプで短期連載と言われればその期間だけ買ったりしたかった。

 

なんかつらつら書いたけど、結局は寂しい。

作中でブルマが言っていた「孫君ならなんとかしてくれる。そんな気にさせる」

 

「とりやま先生ならなんとかしてくれる。そんな気にさせる」

 

自分の中ではそんな漫画家でした。

ありがとうございました。ドラゴンボールを、ドラクエを、クロノトリガーをありがとうございました。